2015年12月15日

通信制高校について経験者の声募集

いま、ウイッツ青山学園の就学支援金の不正受給問題に始まり、広域通信制高校が問題になってます。しかし、不登校経験者には通信制高校に通った人も多くいると思います。報道などは、どうしても一面的になりがちです。

本紙では、実際に通信制高校に通った(通っている)人に、通信制でよかったこと、逆に問題と感じたこと、など、声を募りたいと思います。ハッシュタグ、#ftk通信制 をつけて、ツイートしてください。集まった声は、下記に無選別で表示されるほか、一部を紙面に掲載させていただきたいと思います。


posted by 不登校新聞社 at 19:33| Comment(1) | ftk通信制

2015年08月20日

#学校が始まってしまうけど

そろそろ夏休みが終わろうとしています。学校がしんどくても行っている人にとっても、不登校している人にとっても、夏休み明けはとてもしんどい時期です。内閣府の発表では、18歳以下の子どもの自殺がもっとも多かった日が9月1日だそうです。自殺まではいかなくても、追いつめられた気持ちでいる人も多いことでしょう。そこで、不登校新聞つぶやきプロジェクトでは、自分の夏休み明けの経験談、しのぎ方、工夫、いま苦しんでいる子どもたちへのメッセージなど、募集します。Twitterで、ハッシュタグ #学校が始まってしまうけど をつけて、つぶやいてください。長文の場合は、ブログに書いた記事のリンクを、Twitterでハッシュタグをつけて紹介ください。

2015年8月20日
全国不登校新聞社


posted by 不登校新聞社 at 17:04| Comment(0) | #学校が始まってしまうけど

2015年06月20日

多様な教育機会確保法案は危ない:桜井智恵子さんに聴く

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多様な教育機会確保法案が今国会に上程される見込みだ。フリースクールや外国人学校、夜間中学校なども義務教育機会として認められると、関係者には賛成の声が大きいが、一方には、懸念や批判の声もある。目の前の法案をめぐる議論だけではなく、近代の学校教育のあり方を根本から見直し、国際情勢なども踏まえた視野から、今法案の位置づけを考えられればと、桜井智恵子さん(大阪大谷大学教授)にお話をうかがった。


※感想・意見など、#FS政策 をつけて、ツイートしてください。



――「教育ママ」という言葉はいつから出てきたものでしょう?

 1963年に大衆誌に登場したのが最初で、その後70年代にかけて、「企業戦士」という言葉とともに流通しました。高度経済成長期、それまでの社会が劇的に変化して、多くの人が離農して、地方から都市へ人が流入していきます。すべてが個人単位で動く社会になっていくなかで、「せめて子どもに学歴を」という期待から、教育熱、教育投資が高まっていきました。
 子どもを生活世界から引き離して、個人を強化して鍛えていく。その役割を母親の責任にするという流れは、見直されないまま、現在まで来ています。そのなかで、いろんな問題が起きてますが、それを個々に見るより前に、教育はよきもの、という前提から見直さないといけないと思っています。

――高度経済成長期の問題が続いていると?

 富国強兵のため、国民をつくりあげるための学校という意味では、明治以降、学校制度の最初からの問題と言えますし、近代家族は、そこに組み込まれてきました。
 戦後の問題で言うと、1950年ごろ、日本はアメリカとタッグを組んで経済成長路線に走ることを決めます。そこで、日本は経済成長のみではない路線をとることもできたんです。市民社会に力があれば、金を稼ぐことばかりではないライフスタイルや国のかたちを考えられたはずです。しかし、実際には、学校は人材育成、マンパワー養成のための教育となっていき、そのための「学力保障」一辺倒になっていった。やがて偏差値が導入されて、子どもに、どんどん教育を注入していくようになる。
 そうした経過があって、70年代に入ったころから、落ちこぼれ、登校拒否、いじめ、校内暴力、家庭内暴力などの問題がいっせいに出てくる。そして、それに対応するかたちで、規律を強化する管理教育が出てきたわけです。

――何のための、どこに向かっての教育か、ということですよね?

 近代の教育というのは、国民をつくるためのものですから、国の哲学が問われているんです。日本はそこが貧相で、儲けることのできる国民ばかりをつくろうとしてきた。その結果、人が分断されて、市民社会が衰退するということまでは発想がいかない。底が浅いんですね。
 それは、けっして経済成長を批判しているわけではなくて、人がつながるベースがあってこそ、経済成長も考えられるはずなんです。自分を自分で喜んで認められる子どもが増えたら、国も得をする。誰も疎外し合わないで、それぞれの持ち味を出して何かをつくっていける。ヒューマニズムの話ではなくて、経済的にクールに考えても(笑)。

――存在承認がベースにあって、業績承認もあるということですよね。いまは、そのベースが崩れてしまっているから、業績部分でもがんばれない。

 そのとおりです。「業績」のありようは課題ありですが。大人もみんなそうなってる。日本は他国と比べても非常に自殺者が多いでしょう。1日約70人です。規律や評価のまなざしを内面化してしまっているから、薬でもないと、それを解除できない。眠れなくなって、睡眠導入剤や抗うつ薬を大量に消費して、死んでしまったほうが楽だと思ってしまう。子どもたちも薬をいっぱいもらってます。とんでもない話です。
 でも、政府が悪い、与党が悪いという話ではすまないですね。市民社会のあり方が問われているんです。

――そうしたなか、家族の責任が言われてますね?

 家族主義の強化は気色悪いです。「親業」だとか「親学」だとか……親がきちんと子育てしないと、なんて言いますが、親はきちんと子育てできないものですよ。だからこそ、いろんな人が関わっていくものなのに、家族に完結した状態で責任を言われても、そんな責任は負えたものじゃありません。結局、そこに責任を押しつけていれば、国はお金をかけなくてすみますからね。
 孤立した家族のなかで、情報に振り回されて、親ががんばってしまっている。そんなふうにうまくいくわけないのが家族です。とんでもない親がいていいし、ぼろぼろでもいいんだよ、と言いたいですね。

――学校の話にもどりますが、雇用が流動化するなかで、教育も自己責任の方向ですね?

 いま、文科省が力を入れているのがアクティブラーニングです。「学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」「グローバル人材を養成するために、子どもたちの主体を立ち上げる」と言うんですが、いろんな面で能動性を求められて、子どもたちは、かえって休めなくなっていると思います。かつての教室型の規律ではないけれども、「開放された環境のなかでの休みなき管理(ジル・ドゥルーズ)」になっているんです。

――それでいて先が保障されてもいないわけですから、苦しいですよね。

 学力保障というのは、学卒後に仕事があるから成り立っていたわけです。それが見えなくなったら、学力保障の意味がない。だから、働き方の問題に向き合わないといけないんですが、教員も、研究者も、そこまで考えている人は少数ですね。みんな目の前のことに追われてしまっている。

――海外では、教育の民営化が進んでいるそうですが?

 民営化を促進しているのは、世界銀行や国際通貨基金で、低学費学校のチェーンに投資するなど、どんどん民営化が促進されています。国際的に、そういう大きな潮流があるわけです。私が毎年参加している教育学者の国際会議では、民営化によって起きている悪影響の問題がたくさん指摘され、大きな問題になっています。
 PISA(学習到達度国際調査)を請け負っているピアソンがアジアにも凄い勢いで進出しています。昨年フィリピンで開校し1年で24校、生徒数が4000人に達しました。コストを切り詰めつつ、教育を提供しています。
「格安航空会社(LCC)のビジネスモデルを連想させる『格安学校』は、富裕層向けが中心だったアジアの教育ビジネスを変える可能性を秘める」(6月20日付:日経新聞)
 日経新聞に記事がたびたび載るというのは、ひとつのアピールでしょうね。「教育はお金になりますよ、みなさんも関心ありませんか?」という。
 つまり、日本でも教育行政がお金をつけたら、資本は飛びついてくる。パイの奪い合いになります。今回の「多様な教育機会確保法案」は、まさにこの公式にぴったり当てはまる話です。

――フリースクールなどの文脈からだけで、この法案が出てきているとは思えないですよね。法案で、とくに懸念を持たれている点は?

 個別学習計画ですね。不登校の多くの子どもは、ものすごいエネルギーを使って、なんとか学校から離れて、離れても内面化した評価のまなざしと闘っているのに、そこに個別学習計画が入ってくるとなったら、これは殺人行為になると思います。いろんな子どもたちの顔が浮かんできて、まず、そのことを思いました。

――選択の主権者は保護者ですから、それはあやういですよね。

 親の教育権は子どもの権利とぶつかることも多いんです。たいてい子どもと親の話はちがいますからね。私は川西市で子どものオンブズパーソンをしてきましたが、個別救済で入ったとき、親の言うとおりにしたら解決にはならないし、かならず問題が起こります。親の言うことだけを聴いて動いてはいけないというのは、経験上、オンブズパーソンたちの鉄則です。

――教育の民営化の懸念はわかりますが、じゃあ、これまでの学校がよかったかといえば、そうでもない。そのあたりはどうですか?

 最初に申し上げたとおり、そもそも教育をよきものと考えているかぎり、ダメだと思うんですね。良心的な教員も、個人モデルを批判できていなかった。いまの貧困対策も、学力保障の話ばかりですが、それではかえって子どもにとって苦しい。主体というのは、ぼーっとしているだけでも、存在しているだけで主体ですから、そこが承認されていないと、結局は、お金のかかる病気をつくっていく話になっていく。リスクもお金も高くなっていく。そういう話は、なかなか通じにくいんですが、でも、教育委員会でも、学生でも、話が通じる人はいます。
 どんな制度になっても、社会の状況が悪化しても、要は人ですから、そこを信じてやっていくほかないでしょうね。
 政策面だけを見ていると希望はありませんが、どんな制度下にあっても、地域でさまざまなナリワイや生きざまが立ち上がってくることには、希望が持てる。あきらめることはありません。

――ありがとうございました。(聞き手・山下耕平)

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(さくらい・ちえこ)
大阪府生まれ。専門は教育学、思想史。大阪大谷大学教授。川西市子どもの人権オンブズパーソン前代表。門真市教育委員、『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』編集代表などを務める。著書に『子どもの声を社会へ−子どもオンブズの挑戦』(岩波新書)、『市民社会の家庭教育』(信山社)など。
posted by 不登校新聞社 at 08:55| Comment(0) | フリースクール政策 #FS政策